物作りの楽しさを衝撃的に感じた瞬間
もう30年近く前になりますが、市役所の御用納めで掃除をしていたら、事務机の下から柿羊羹の空き容器が出てきました。私は小さい頃から物作りが好きで、何かに使えそうな素材は取っておく癖があります。その容器が竹製だったので、しまっておいたんでしょうね。捨てようかとも思ったけれど、もったいない。ふと頭に浮かんだ耳かきを作りました。それが第一号の耳かきです。
実は、50歳までは公務員をしながら、趣味程度に物作りをしていました。あるとき、同僚から「ハンズ大賞」のことを聞いて、軽い気持ちで応募作品を作り始めました。それが忘れもしない2000年の9月なかばで、完成したのが11月初めです。私が作りたいと思ったのは、見せる耳かきです。目につく場所に堂々と置いておけて、同時に使い勝手のいい物。きちんと手間暇かけて作った耳かきは、道具としてもこんなにいいということを、自分のアイデアを織りまぜながら形にしたいと思いました。
作品作りに費やした約1ヶ月半は、生まれて初めてというほど集中しました。すると自分でも驚くほど次々とアイデアがわいてきて、折り畳み式のもの、鞘(さや)に収められるもの、竹の節をいかしたもの、かんざしのような形のものなど、合計6タイプ31点の耳かきを作りあげました。当時はまだ勤めていましたので、仕事を終えてから夜中まで作業をした日もあります。
そして合計31点の耳かきが完成間近のころに、ふと気づいたのです。「自分は最高のデザインと、最高の仕掛けを考えている。その最高のものを、この手で思い通りに作りあげることができる。自分にはこんなところがあったんだ」と。耳かきを作る楽しさを衝撃的なまでに感じました。
それまでは耳かきを作ることはあっても、あくまで趣味でしたから、上手に作ろうという欲もさほどありません。まわりの誰かに見せて珍しがってもらえばいい、というくらいでした。でも作品として耳かきを作るなかで、それまでにないほど集中して、自分の可能性を再発見したんです。「自分は50歳なんだけど、これからの人生をどう過ごしていくのか」ーそんなことを考えずにはいられないほど、大きな出来事でした。
耳かき専門の職人というのは、私が知らないだけかもしれませんが、ほかにはいません。だからパイオニア、第一人者になれる。そういう思いもありました。日本人の人口が約1億2000万人。ひとりでも多くの方に、私の耳かきを使ってもらいたいと思っています。
耳かき職人
加藤 惠一(かとう けいいち)
1951年愛知県生まれ。愛知県碧南市在住。
公務員時代に趣味で耳かき作りを続け、50歳で耳かき職人「匠の耳かき」として独立。
工房で制作に取り組みながら、デパートのイベントにおいて実演販売も行っている。
2001年 ハンズ大賞ハンズマインド賞
2002年 ホビー大賞奨励賞
2003年 日本クラフト展入選
「出会って感動していただける耳かき、耳掃除の気持ちよさ、楽しさを発見していただける耳かき」を作りつづけている。